梅雨の時季。しとしとと降り続く雨に気が滅入るけれど、そんな雨を楽しむように、お気に入りの傘をさして出かけてほしい場所が、日本最古の唐寺「興福寺」だ。
江戸時代の初め、長崎には多くの外国人が貿易のために訪れ、とりわけ中国・明からは、市民の6人に1人が中国人になる程の来航者があった。彼らは出身地別に寺を建立。これが興福寺をはじめ崇福寺や福済寺などの「長崎唐寺」の始まりとなった。唐寺は禁教令の下、キリシタンの疑いをかけられた中国人たちが仏教徒であることを示すとともに、航海安全を祈って唐船に必ず祀られた「媽祖(まそ)」を停泊中に安置させる場所としての役割を果たしていた。唐船が長崎に来航すると、港から寺まで媽祖様をお連れする「媽祖行列」が長崎の街を賑わせたという。
その後1654年、興福寺に日本黄檗宗の開祖・隠元禅師が渡来する。当時衰退していた日本の臨済・曹洞の禅宗の再興を望み、中国の禅界の高僧・隠元に来日を願ったのだ。すでに高齢であった隠元は当初弟子たちを日本へ送ったが、三度に渡り船が沈み、ついに自ら渡航を決意。興福寺に一年間住職として滞在したのち上京、勅命を受け、1661年に81歳で永眠するまで日本に留まった。私たちの生活に馴染みあるインゲン豆やすいか、れんこんといった野菜から、書や絵画、建築様式、明朝体や印鑑、木魚やテーブルといったものまで、今に息づく様々な大陸文化をもたらした隠元さん。彼の人が伝えた文化に思いを馳せながら、寺をめぐると一層感慨深い。
そんな由緒ある興福寺は今、紫陽花の季節。しっとりと雨に濡れた趣ある寺の中で花を愛でる、季節の愉しみを味わってみては。
しっとりとお寺に咲く紫陽花
興福寺を彩る紫陽花は、60年程かけて先代のご住職から植えられてきたもの。西洋アジサイではなく、日本にもともとある山紫陽花が植えられており、小ぶりで可憐な花々が、訪れる者を楽しませる。
日本人ならではのこころを伝える
現在32代目となるご住職も愛する「紅額(べにがく)」という紫陽花。白い花が、少しずつ紅色に染まる様子が美しい。ご住職は興福寺や隠元禅師のこと、また自然と共に暮らし、季節を粋に味わう日本人の心を伝えたいと、5月下旬からの「紫陽花季」をはじめ、時節ごとのさまざまな催しも行なっている。 浜辺のマリア様のこと。
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