長崎の「清水の舞台」は石造りなのです…
「清水寺」といって真っ先に思い浮かぶのは、京都にある、あの有名すぎるお寺。
ふっふっふ…修学旅行で訪れた、なんて方も多いのでは?
実は長崎市内にも、同じ名前を持つお寺がある。「きよみずさん」の愛称で親しまれる、安産祈願で有名なお寺だ。
日本には、「清水寺」と名のつくお寺が多数存在するそうだが、長崎市のそれは全国で唯一、京の清水寺の「末寺」として生まれた由緒正しき歴史を持つ。
今回は特集も「旅」がテーマということで、「旅する長崎」では、長崎にいながらにして京の風を感じられる、近くて遠い、遠くて近い、そんな旅をお届けしよう。
浜町アーケードから、てくてく歩いて10分ほどの場所にある、「長崎山(ちょうきさん)・清水寺」。
創建したのは、総本山である京都清水寺の僧、慶順だ。彼は京都清水寺に安置されていた観音像をたずさえ、全国各地をめぐりながら教えを広める中で、長崎に辿りついたといわれる。
時は江戸時代初頭。 その頃の長崎はキリスト教信仰が強く、キリシタンによって寺社仏閣が壊され、仏教や神道は力を失っていた。
幕府としてもキリスト教は脅威であり、寺社仏閣の再興に援助を惜しまなかったようだ。
長崎で布教を行っていた慶順も、長崎奉行より土地を与えてもらい、この清水寺建立を叶えた。
ところでこの場所に建てられた理由には、こんな逸話がある。
寺を無事建てられるよう、毎晩、千手観音に祈願していた慶順。ある夜、祈願を終えて庭に出ると、東の方角に白く輝く雲のようなものを見つけた。
何かの吉兆かと、夜が明けてその場所へ行ってみると、そこには光を放つ大きな石があったのだ。
これを「観音さまのお導き」と喜んだ慶順は、この場所の土地に寺院建立をしたいと請い、1623年、念願の堂宇を建てたのだ。
▼瑞光石
この不思議な石は、「瑞光石」と名づけられ、今も本堂の裏にある。
全国的にも珍しい、ユニークなお寺
今回お寺を案内してくださった、清水寺の山浦正健さん。
お寺に着いてすぐ、「今からご供養なので、後ろで見学してみたら?」と提案された。
平日の昼のお寺は、ちらほらと参拝客がいるものの、街の喧騒を離れた静かな空間。厳かな雰囲気の本堂に入り、30分ほど、山浦さんのお経に聞き入った。
本堂の中央にご本尊、その脇を、色鮮やかな二十八部衆がかため、右手の端に毘沙門天、左手の端に勝軍地蔵王が並ぶ。この配置は、京都清水寺とほぼ同じだそう。
実は清水寺は、2006年から5年間、本堂保存の修理工事が行われた。
それにともなう発掘調査で、清水寺が全国でも珍しい、ユニークな造りのお寺であると判明!
国指定の重要文化財に指定された。一体このお寺の、何がそんなに珍しいのかとたずねると、「この寺には、伝統的な日本の建築様式と、中国の建築様式が混ざり合っているんです」と正健さん。
たとえば本堂の天井。船の底の形のような、アーチ状のこの構造は、唐寺・崇福寺の媽祖門と同じ構造だという。
それから、「絵様(えよう)」と呼ばれる、柱の梁に施された彫刻のデザイン。
これは発掘調査が行われるまで、1700年代以降のものと考えられていた。
ところが調査により、それより前の年代のものであることが発覚。
トロピカルな花の彫刻を、朱色や緑、金色で彩った、清水寺の絵様。このような華やかな意匠は、その時代では他に類を見ない、斬新なデザインだったそうだ。
全16種類、どれひとつとして同じものはなく、中国テイストが盛り込まれたデザインは、全国へ広まっていった。この絵様も、修復によって往時の輝きを取り戻している。
きよみずさんで 心和む、おだやかなひととき
清水寺は、檀家を持たない祈願寺として、今も昔も長崎の人々の心のよりどころとなってきた。大浦慶や、坂本龍馬など、歴史上の偉人たちもこの清水寺を訪れていたという。
お寺の敷地内には、さまざまな言い伝えをもつスポットや仏像が。
本堂に鎮座する「びんづるさま」は、なんとスポンと手がはずれるように作られており、その手で病気のある場所や、健康にしたい場所を撫でるとご利益があるのだとか。
少しはかしこくなるかしら?と、頭を撫でてみたり…。でも、欲深いのはいけませんよネ。ありがとうございます、びんづるさま…。
そのほか、お寺の中で写経や写仏の体験もできるそうで、ゆっくりと心を鎮めに、訪れる人も多いのだとか。
「このお寺の一番いいところは、街の中にあること。街の喧騒を離れて、いつでも静かな時間を過ごせる場所なんです。安産祈願が有名なお寺ではありますが、いつ訪れてもいいんですよ」と、正健さん。
夕暮れ時、このお寺から眺める長崎の風景が、何より美しいのだとか。遠くへ行くばかりが、旅じゃない。
案外身近な場所にも、好奇心をくすぐる素敵な時間は、存在するのだ。
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