つむぐ、編む、織る日々
セーターやマフラーなど、身も心もぬくぬくとあたためてくれる羊毛の衣類。今でこそ冬の装いに欠かせないが、日本での歴史は比較的浅く、庶民の暮らしに取り入れられるようになったのは、明治期以降のことだ。もっとも、大陸から羊がもたらされた最古の記録は6世紀中頃、江戸時代には毛織物の輸入も進んだが、湿度の高い日本の気候では羊の牧畜は難しく、発展しなかった。
南島原市北有馬町。豊かな自然に囲まれたこの場所で、日々、羊毛で手しごとを行う女性がいる。〈てまりや〉の松井裕子さん。出身は北海道で、さまざまなご縁が、松井さんを西の端・長崎へ導いたそうだ。「近所のおばあちゃんたちによると、昔はこの辺りでも羊が飼われていたそうです。毛刈りをして売ったり、糸を紡いでいたそうですよ」と松井さん。産業としては発展しなかったが、家畜としては身近な存在だったのだろうか。今は羊を飼う家も無くなったが、この土地の草木で羊毛を染め、つむぎ、編み、織る―そんな営みの灯が、ちいさくも灯り続けている偶然に感じ入る。
羊毛でつくる、と言っても作品はさまざま。羊の毛の種類、染める草木の種類、つむぐ糸の太さ、編み方、織り方…その組み合わせ次第で、驚くほど多彩な表情を見せてくれる。「やればやるほど、新しいイメージがわく。同じ植物でも季節で染まる色が違ったりして、試作の繰り返しです」。今はフェルトの作品も多いそうで、中でも「布フェルト」と呼ばれる手法の作品は(写真のベスト、チュニックなど)一風変わった風合い。布に羊毛をのせ、石けん水をかけて一緒に縮ませてゆくことで生まれる繊細なしわの表情が美しく、ふわりと軽くて、あたたかいのだ。
自然と共にある暮らし
幼い頃から、編み物が大好きだったという松井さん。大学では染色化学なども学んだが、染めや織りの仕事ではなく、一度は会社員として勤めた経験も。しかし「自分の食べる物を自分でつくり、お金に左右されない生活がしたい」と田舎に移り、農的な暮らしを始めた。ネパールやインドなど、東南アジアの国々を旅したことも、松井さんの生き方や考え方に、大きな影響を与えたという。
ふと、松井さんの家を見回せば、目に留まるのは古い家財や道具たち。お風呂や暖炉は薪で焚き、家のかたすみにはちょこんと野花をあしらう。松井さんは微笑みながら、「ここには何もないと人は言うけれど、私には何でも揃っているんです」と語ってくれた。
自然の恵みに感謝し、自然と共にある暮らしの中で、まとう人をふわりとやさしく包む作品が生まれている。
工房てまりや temariya
南島原市北有馬町乙493 TEL:0957-84-3944
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