ながさきプレスWEBマガジン

  • Vol.24 岩永梅寿軒の寒菊

    目に浮かぶは、雪積もる菊。

     ほわり、はらり、と舞い積もってはじんわりと融け、すうっ…と消えゆく儚い雪片―と言えば、伝わるだろうか。「寒菊(かんぎく)」と名づけられたこの菓子が見立るのは、雪化粧をまとった菊の花や葉。ほんのりと青みさえ感じるような、混じり気のない澄んだ白と、ほわほわと淡い輪郭を見つめていると、冬の情景のひとこまが目に浮かぶようである。

     「和菓子は、五感で楽しむもの。目や舌はもちろん、菓子に込められらた情景を想い浮かべれば、“しん”と降り積もる雪の音まで、耳に響いてくるようでしょう?」と楽しそうに語るのは、岩永徳二さん。1830年創業の老舗、〈岩永梅寿軒〉の6代目社長だ。

     「寒菊」は元々、寛永年間(1624~1643年)に行われた日明貿易の際、中国から伝わった菓子といわれている。古くは「甘菊」と書いたそうだが、冬場の寒い時期に仕込みを行うため、“寒”の字が当てられるようになったそうだ。製造には大変な時間と手間ひまを要し、年に7回しか作られないため、店頭に並ぶことはほとんどない希少なお菓子だ。

     仕込みが始まるのは、1月~2月。この時期に1年分の餅をつき、自然の寒風に1~2ヶ月さらして、芯までしっかりと乾燥させる。乾燥が終わると、半年~1年程寝かせて熟成。その後は、必要な分をその都度取り出し、オーブンでふっくらと焼き上げてから、生姜を入れた液状の砂糖蜜をかけて仕上げてゆく。蜜をかけては乾燥、かけては乾燥、を繰り返すこと3~4回。最後に2週間程、仕上げの乾燥を行って、やっと完成だ。「もち米や砂糖は高級品でしたし、作る手間も相当なもの。昔はかなりの贅沢品だったはずです」と岩永さん。以前は長崎市内に何軒か、寒菊を製造する店があったそうだが、現在では岩永梅寿軒のみが、その味と伝統を伝える唯一の店となってしまった。

     淡雪のごとき見た目と裏腹に、ひとかけ齧(かじ)ると“ぼりっ、さくっ”。噛むとじゅわりと上品な甘みが広がり、生姜の風味がふわ~っと漂う。単に“素朴な味わい”と言い切れない奥深さは、やはり職人がかけた手間と時間、そしてこの菓子の持つ歴史がなせるものだろうか。

     「日本人で本当に良かったよねぇ…」。和菓子について語る岩永さんが、しみじみとそう漏らす。寒菊に限らず、ルーツをたどれば中国や西欧に由来する物も、日本人は独自の感性や美意識のフィルターを通し、“和の文化”へと昇華させてきた。ちいさな和菓子ひとつに込められた、美しきを愛でる心―その心が、うっとりするほど甘やかなしあわせを、菓子に宿してくれる。

    岩永梅寿軒 Iwanagabaijuken
    長崎市諏訪町7-1 TEL:095-822-0977
    ※「寒菊」8ヶ1,200円(税別)、箱入り1,350円(税別)~。
    確実に手に入れたい場合は、事前に予約を

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