幻の反物を、織りつないで。
何とも言えない味わいを持つ、深い深い藍の青。そこに走るのは、織り手の個性を映す色とりどりの縦縞。きゅっ、と目が詰まり、うっすらと光沢を放つ美しい織物…それが「島原木綿」だ。一度は途絶え、“幻の反物”とも呼ばれた、島原市の三会(みえ)・大三東(おおみさき)・湯江(ゆえ)地区に伝わる手仕事である。
主産業は漁・農業ながら、湯江川の美しい水に恵まれている有明地域では、木綿織りが女性の副業だった。1612年、大三東にある「勝光寺」に島原地方の門徒が木綿150反を献上した、というのが島原木綿の最も古い記録である。明治期には、家内工業から工場生産へ。久留米絣の熟練工を招き、より高い染織の技術を修得すると、明治36年に第5回内国勧業博覧会で賞を受けるなど、その丈夫さ・質の高さが広く認められ、九州はもとより、関西や朝鮮へも輸出されるようになった。しかし大正期を頂点に、不景気のあおりや戦争による綿糸不足・金属の強制供出で、機の音は途絶えてしまったという。
昭和26年、「島原木綿復興」の声が一度は上がるものの、化学繊維の台頭に押され復興は叶わなかった。そして昭和62年…二度目の復興の希望が生まれる。「有明町歴史民俗資料館」設立の際、町民の家に保管されていた立派な手織機が多数寄せられたのだ。織りの経験を持つ2人のおばあちゃんの記憶をたどり、まず1反、織り上げた。それを機に、平成2年「有明町島原木綿織りグループ」が誕生し、現在「島原木綿保存会」へと、その志が受け継がれている。
有明公民館の一画。ぱったん、ぱったんとリズミカルな機の音を響かせながら、幻の反物を今に伝える保存会の皆さん。現在7名の女性と織機の整備をする技師さんの計8名で活動をしており、会発足以来25年程織りを続けているベテランさんもいれば、まだ始めて1年程の新人さんも。年齢も20~70代までと幅広いが、皆一様に「昔の人の技、今も壊れずに働く織機はすごい!」と言い、古い反物を手に「こんな色はもう出せない。綺麗…」とため息をもらす。そう、会の皆さんは誰よりも島原木綿に魅せられ、それを守りたいと願う人たちなのだ。仕事や家事の合間、公民館に集って手を動かす。「高機(たかばた)」と呼ばれる織機は百年物。糸を染め上げ、織機にセットするまでも大変な作業で、織機そのものの調整や手入れも欠かせない。織りの作業は単調なようだが、同じ調子で織り上げるのはそう簡単ではなく、気分が織り目に出ることもあるらしい。1反=約14mを織り上げるのに3ヶ月近くかかるというのだから、想いなくしては続かない。
実は島原木綿、途絶えていた空白の数十年の間にも、趣味的にひっそりと織りを続けていた人がわずかいたという。昔も今も。島原木綿に魅せられた人々が、その想いを糸にのせ、美しい反物へと織りつないでいる。
島原木綿保存会
島原市有明町大三東戊1438-1 有明公民館内 TEL:0957-68-1101
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