ながさきプレスWEBマガジン

  • Vol.31 岩永梅寿軒のぬくめ菓子

    長崎くんちの縁起菓子

     毎夜長崎の街に響く、くんちのお囃子やかけ声―。思いがけずその練習の場に出くわすと、あの華やかな舞台の裏側を垣間見たようで、長崎人ならば誰しも胸打たれるものがある。9月を過ぎる頃にはその声にも気迫が満ち、男たちの熱く勇壮なかけ声を耳にする度、今年もくんちの季節がやってきたとワクワクせずにはいられない。

     そんな、自然が偶然に織り成す美・「窯変」を呈したうつわが、現代の長崎にも。釉薬に、雲仙普賢岳の火山灰を使って焼き上げる、「雲仙焼」だ。手がけるのは、雲仙焼の3代目・石川照(あきら)さん。現在、雲仙温泉街の近くに工房を、雲仙岳中腹に登り窯を構え、奥様のハミさん、息子の裕基さんと共に、3人で作陶を行っている。

     街全体がくんちに向けて着々と準備を進める中、こんな場所でも支度が進んでいた。中通り商店街にある老舗の和菓子店〈岩永梅寿軒〉。くんちに向けて作るのは、「ぬくめ菓子」と呼ばれる縁起菓子だ。右に大黒さま、左に恵比寿さま―砂糖を使い形づくったこの神さまは、商売繁盛・五穀豊穣を祈り、くんちの期間中、庭見世や店先などで飾られるという。菓子づくりの確かな技が物を言う、繊細な作業で生み出される反面、どこか愛らしく、ユーモラスな表情…。肌がほんのりと桃色がかっている理由について、「祝いの場で神様たちもお酒を飲んで、ほんのり顔を赤らめているという説があるんですよ」という6代目・岩永徳二さんの話を聴き、ますます親しみが湧く。

     くんちでぬくめ菓子を飾る風習がいつ頃始まったか―その歴史は、実は定かではない。現在長崎でぬくめ菓子といえば、くんちで飾る大黒さま・恵比寿さまを直接指すが、本来は「ぬくめ細工」と呼ばれる菓子づくりの技法のひとつであり、大黒さま・恵比寿さま以外のモチーフも、もちろん作られていた。法事で用いる供物の野菜や果物、花やろうそくなどを模ったぬくめ菓子もあったそうだが…今では需要も減り、大黒さま・恵比寿さまの飾りだけとなってしまった。

     「かつて長崎は海外交易の窓口であり、砂糖の入口でもあった。他の地域に比べれば砂糖が手に入りやすいとはいえ、当時はとても高価な貴重品。その砂糖をふんだんに使うことは、富や豊かさの象徴ですから、くんちの際、それを表すように各店々が砂糖菓子を飾るようになったのでしょう」と岩永さん。今に残る風習や文化の歴史をたどるのは楽しく、好奇心をそそられるものだ。

     “温める”から、その名がついたぬくめ菓子。桃カステラなどのコーティングに使われる“すり蜜”という液状の砂糖を煮詰めた後、もち米を加えてから手早く練り伸ばし、砂糖が冷えて固まらないうちに、素焼きの型に生地を貼りこんで形を作る。硬すぎず、柔らかすぎず…湿度や温度によっても塩梅を変えるという生地づくりは職人技だ。乾燥したら型から出し、絵付けして完成する。

     「この型があれば、作り続けられる」。そう語り、岩永さんが見せてくださった大黒さま・恵比寿さまの型。その神さまたちのふくふくとした微笑みを見つめながら、長崎の豊かな歴史と文化の奥行きに、改めて感じ入った。

    岩永梅寿軒のぬくめ菓子
    長崎市諏訪町7-1 TEL:095-822-0977
    ※ぬくめ菓子の販売は、9月末~10月初旬まで
    http://www.baijyuken.com/

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