国境の島・対馬は、海外との交流拠点であると同時に、攻防の最前線でもあった。7世紀の白村江の戦いから明治の日露戦争まで、対馬を襲った危難は数多くあるが、中世最大の危機と言えば、鎌倉時代の「元寇」だろう。
900隻3万人ともいわれる元・高麗軍が対馬を襲い、対馬守護代・宗助国と家臣80余騎は、佐須浦に上陸した元軍約千人を迎え撃つが、数時間の激戦の後、全滅。後に小茂田浜神社に祀られ、毎年秋に慰霊祭が行われるようになる。今年の大祭は11月
12(日)。鎧武者の行列や、神主が開戦の儀式を模して弓を構える「鳴弦の儀」などが行われる。大祭の日にいただける「佐須もち」は、塩ゆでした小豆を餅にくっつけたもの。襲来が急で餡を練る時間もなかったことが由来だとか。
元寇の後、被害を受けた島民を中心とした前期倭寇が朝鮮半島・大陸を荒らすようになり、朝鮮水軍が対馬を襲撃するが、宗家はゲリラ戦で対抗し、朝鮮との貿易を認める懐柔策により、事態はようやく沈静化していく。
対馬の歴史は、日本の外交史そのものだ。外国との交流と攻防の歴史を、ぜひ現地で体感してほしい。
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西 護 対馬観光物産協会に勤務して、今年で11年目。国境の島・対馬に、家族や犬、猫と共に暮らしている。趣味は、対馬の山岳・砲台・神社などの情報を収集・発信すること。今年発行された「長崎県の山(山と渓谷社)」で、対馬の山を担当している。
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