福江城(石田城)は、文久3(1863)年、第31代・五島盛徳公の時に完成した、日本で最後に造られた城である。現在は、石垣と蹴出門(当時の裏門)、陰殿屋敷(藩主の隠居所)だけが残っている。
築城には、14年の歳月を要した。それは、この城が日本で唯一、三方を海で囲まれた〝海城〟であり、砂州の上に造られた城だからである。その頃、日本近海には外国船が数多く出没していた。幕府は、海防のために福江城の築城を許可した。表門(現在は五島市立図書館が建っている)は海に面し、藩主らは船を使って出入りした。
現在、城の周囲は埋め立てられ、当時の姿をしのぶのは難しい。しかし、外掘公園に面した石垣は、厚さが6・5mもあるところがあり、強い波風と外国船の侵攻に備える造りとなっている。同じ理由で福江城には高くそびえる天守閣はなく、平屋の陣屋が建っていた。その陣屋も現在は取り壊され、跡地には県立五島高等学校が建っている。2017年、福江城は、古いものでは400年以上も前の石垣と海城であったことから、公益財団法人日本城郭協会によって「続日本100名城」に選ばれた。
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矢口 美保子 五島市在住。趣味は、茶道と読書。「軽自動車のマニュアル車に乗っています」と言うと、ほとんどの人が驚くという。高校時代の剣道仲間からの突然の電話により、島のコラムを書くことに。これには、本人が一番驚いているのだとか。
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