「平和公園周辺エリア」のおはなしvol.1
訪れる前にチェックしたい!
長崎と平和のおはなし。
平和への想い
長崎と言えば、みなさん何を思い浮かべますか?
出島? 諏訪神社? 異国情緒? 夜景? 世界遺産? ハウステンボスやグラバー園?
どれも正解ですが、それとは別に、長崎県の人たちの心に灯され続ける、ひとつの灯があるんです。
それは、平和への想い。
広島市と共に、日本で2つだけの原爆被ばく都市である長崎。
毎年原爆が投下された8月9日11時2分には「長崎の鐘」が鳴らされ、長崎の人は1分間の黙とうを捧げます。
平和祈念式典が執り行われ、Jリーグクラブ「V・ファーレン長崎」でも平和祈念活動など、平和への想いが人一倍、いえ県一倍強い場所なのです。
2020年は、長崎に原子爆弾が投下されて75年の節目を迎える時。
奇しくも新型コロナウイルスの脅威にもさらされ、さまざまな変革が必要となる、そんな時代の到来が予感されます。
〈山王神社の被爆クスノキ〉
しかし、そんな中でも変わらず大切なのは「平和であること」と「平和であろうという想い」です。
この「ながさきプレス観光課」では、長崎屈指の観光地を巡りながら、平和の気持ちを再認識できる、そんな旅のプランを提案します。
8月9日11時2分
1941(昭和16)年から始まった太平洋戦争は、終戦まで約3年9か月もの期間を要しました。
全世界で何千万人規模の犠牲者が生まれ、日本でも310万あまりの尊い命が犠牲となりました。
新型爆弾であった原子爆弾は、広島では1945(昭和20)年8月6日8時15分に、長崎では同年8月9日11時2分に炸裂しました。
当時は広島で約14万人、長崎では約7万人の人々が犠牲となりました。
当時の長崎市の人口は約24万人で、3割近くの人たちが犠牲となったのです。
〈平和の母子像〉
建物は約36%が全焼・全半壊したと言われています。
放射能の影響も甚大で、これまでに広島では約30万人、長崎で約15万人が犠牲になっており、未だにさまざまな病気で苦しむ被ばく者の人たちも少なくありません。
長崎に投下された原爆は、長さ約3.25m、直径約1.52m、重量約4.5t。
火薬を使った爆弾の21,000t相当と言われています。
長さ約3m、直径約0.7m、重量約4tだった広島型原爆のカタチと比較して、長崎型は「ファットマン(ふとっちょ)」、広島型は「リトルボーイ(チビ)」と呼ばれていたそうです。
〈被爆当時の地層〉
原子爆弾の投下については、いくつかの候補地がありましたが、7月末には「広島・小倉・新潟・長崎のいずれかの都市に」と候補が絞られ、最終的には「広島市中心部と工業地域」「小倉造兵廠ならびに同市中心部」「長崎市中心部」が順に目標となります。
8月9日の第1目標は小倉市でしたが、もやによる視界不良であったため、第2目標である長崎市に変更されたとされています。
〈浦上天主堂遺壁〉
こうして原子爆弾が投下された数少ない被ばく都市である広島・長崎。
今でも長崎には、爆弾の威力により被災した数々の爪痕、そしてその悲劇を繰り返さないために、平和を考えるための場所がいくつも存在します。
次回からは、そんな長崎の観光拠点を紹介していきます。
名称 | 平和公園 |
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アクセス | JR長崎駅前→路面電車「赤迫行」乗車→「平和公園」停留所下車→徒歩3分 |
駐車場 | 専用の有料駐車場あり |
お問い 合わせ | TEL:095-829-1164 (長崎市中央総合事務所 地域整備1課) |
場所 | 長崎県長崎市松山町9 |
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