「平戸」のおはなしvol.2
港にまつわるエトセトラ…
平戸で活躍した偉人たち
平戸港が南蛮貿易の拠点であったこともあり、平戸では、昔から外国との交易が盛んにおこなわれていました。
今回は、ここで活躍した人物たちの歴史をちょっとだけお勉強してみましょう。
平戸を治めたお殿様「松浦(まつら)氏」
平戸の土地柄を活かし、海外交易などで力をつけ、盤石の地位を築いていったのが、平戸藩主「松浦(まつら)氏」。
平戸では藩主が交代することもなく、ずっと松浦氏が治めていたため、平戸港周辺には、松浦氏に関連するものがたくさん残っています。
平戸市のランドマーク的存在「平戸城」は、平戸藩主松浦氏の居城。城内には平戸藩時代の文化財などが展示されています。
敷地内には、平戸藩主を祀った「亀岡神社」があり、ここで行われる秋の大祭「平戸くんち」も有名です。
なかでも「平戸神楽(大大神楽)」の奉納は年に一度、ここ亀岡神社でしか見られない大変貴重なものです。
平戸城周辺一帯は「亀岡公園」として整備されていて、桜やヒラドツツジなど季節の花が咲き乱れるようすは見事です。
平戸城から、平戸港を挟んで対岸側にある「松浦史料博物館」は、平戸藩の最後の藩主・松浦詮(あきら)が住んでいた家を改装したもの。
ここにも、松浦家と平戸の歴史に関する貴重な史料が収蔵されています。
敷地内にある茶室「閑雲亭」でお茶を楽しむこともできるので、お殿様気分でのんびりするのもいいかもしれません。
日本に最初に来たイギリス人「三浦按針」
平戸のまちを歩いていると、たびたび目にする「三浦按針」という名前があります。
これは、日本に最初に来たイギリス人「ウィリアム・アダムス」の日本名。
この人物、徳川家康の外交顧問として活躍したすごい方なのです。
オランダ船に乗って日本に流れ着き、徳川家康に召し抱えられ、外国との重要な交易の拠点だった平戸には1613年にやって来ました。
「松浦史料博物館」からも程近い「崎方公園」には、「三浦按針の墓」が残されています。
当時、三浦按針が平戸で住まいとしていたとされているのが「按針の館」。
ここには、現在「平戸蔦屋」という、老舗の菓子店があり、平戸銘菓「カスドース」を頂くこともできます。(→「平戸 蔦屋」の詳細はこちら)
「フランシスコ・ザビエル」も何度も訪れていた
日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名な「フランシスコ・ザビエル」も、実は、ここ平戸にゆかりが深い人物。
ザビエルが長崎で最初に訪れたのが、平戸であったと言われており、その後も何度も訪れています。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」、長崎と熊本に点在する12の構成資産のうち、平戸にあるのはなんと2つ。
ザビエルが来て以降、平戸がキリスト教布教活動の中心的な場所となったため、現在でも、平戸にはキリシタン関連スポットが数多くあるのです。
ザビエル関連のスポットでいうと、「平戸ザビエル記念教会」には、ザビエル像が建てられています。
三浦按針の墓がある「崎方公園」には、ザビエルの日本渡来400年を記念して「フランシスコ・ザビエル記念碑」も建てられています。
場所 | 長崎県平戸市 |
---|
平戸の他のお話はこちら
コメントを投稿するにはログインしてください。