「花街・丸山」のおはなしvol.1
訪れる前にチェックしたい!花街・丸山“キホン”のおはなし。
出島の誕生によって、大きな歴史的な拠点となった長崎。当然、多くの商人や知名士たち、役人、外国人に維新志士たちまで、多様な人々がこの地に降り立っていたのだろうと予想できます。
その賑わう町を象徴するものの中に、芸妓や遊女たちのいる花街があります。
そう、丸山です。丸山は、丸山町・寄合町の総称で、江戸の吉原・京都の島原と並んで、日本三大花街と呼ばれていました。
寛永19(1642)年に、長崎市内各地にあった遊女屋を官命により一所に集めたのがはじまりとされています。出島が造られたのが寛永11(1934)年なので、まさにこれに追従した形ですね。 元禄時代(1688~)が全盛期で、遊女の数は1,500人近くまで数えるほどに。 幕末期は、坂本龍馬をはじめとした維新志士、三菱の創始者・岩崎弥太郎なども通っていたとの記録もあります。
一説には、外国からの渡航者が集う歓楽エリアだった場所が、お椀をひっくり返したかのような丸い形をしていたので、「丸山」と呼ばれていたそうです。
その後、貿易の拠点が長崎に移ったことにより、歓楽街の機能も移っていくことになるのですが、「丸山」という言葉はそのまま引き継がれていったんですね。当時の外国の人たちは、「花街」そのもののこととして「MARUYAMA」の言葉を使っていたのでしょうか。
昭和前半期まで続いた丸山だけに、その名残を今も少しだけ感じることができます。花柳界の芸者が集う「長崎検番」は今なお丸山に残り、「史跡料亭」としても知られる「花月」など、今なお現役で活躍する歴史的に重要な場所も数多く存在しています。
また、吉永小百合主演で2000年に公開された「長崎ぶらぶら節」は、この丸山が舞台。大正時代のくんちの模様なども 再現されているので、未見の方はぜひ。現在は繁華街の一部になっている「思案橋」というエリアは、かつて本当に橋があり、男性たちが花街に行こうか行くまいか、「思案」して右往左往していたことから名づけられたのだとか。華やかなイメージの中には、オトコの悲哀が感じられる影も残っているものですね。
当時の華やかさを再現した「丸山華まつり」は必見!
そして毎年11月の上旬頃には、梅園身代り天満宮を中心に丸山華まつりが催されます。
女性がおみこしを担ぐ女神輿が丸山町から浜市アーケード、観光通りを巡幸していき、そのあとを花魁が人力車に乗ってすすみます。運が良ければ花魁道中も見れるかも!?当時の花街の艶やかさを体感できるチャンス、ぜひチェックしてみてください。
2019年「丸山華まつり」のようす
艶やかなエピソードがたっぷりな歴史の空間・丸山は知識欲をくすぐってくれる宝庫です。さあ、足を運んでみましょう!
名称 | 花街跡・丸山界隈 |
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アクセス | 路面電車「崇福寺」行き乗車→「崇福寺」電停または「思案橋」電停下車 |
駐車場 | 周辺にコインパーキングあり |
場所 | 長崎県長崎市丸山町 |
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