「ながさき石碑めぐり」第4話
長崎にたくさんある「日本ではじめて」
を石碑からみてみる!
長崎には、長崎港から異文化が流入した影響で「○○発祥の地」「○○伝来の地」というものがとってもさくさん!
そのため、長崎港周辺を中心に、「日本ではじめて」という石碑がとってもたくさんあるんです。
我が国鉄道発祥の地碑(隣に運上所跡)
まずは、長崎港からも徒歩10分程度のところにある「我が国鉄道発祥の地碑」。
長崎みなとメディカルセンターの前に、「運上所跡」の石碑と並んで建っています。
慶応元(1865)年に、トーマス・グラバーが、この場所から600メートルほどのレールを敷き、英国製の蒸気機関車を走らせました。
これが、日本で初めて“人を乗せて鉄道が走った最初の運行なのだそうです。
我が国最初の気球飛揚の地
長崎みなとメディカルセンターの裏手の道にたたずんでいるのは「我が国最初の気球飛揚の地」の石碑。
文化2(1805)年1月8日、当時入港中のロシア使節レザノフ一行に随行した医師が、この場所で、和紙でできた熱気球を揚げて見せました。
国際電信発祥の地
グラバー園から徒歩3分のところにあるのは「国際電信発祥の地」石碑。
グラバー通りにある「ANAクラウンプラザホテル 長崎グラバーヒル」の敷地内に、「長崎電信創業の地」と「南山手居留地」の石碑と並んで建っています。
明治4年、デンマーク系のグレート・ノーザン(大北)電信会社によって、長崎~上海間および長崎~ウラジオストック間の海底電信線が敷設され、国際通信が開始されました。
日本のボウリング発祥の地
「国際電信発祥の地」石碑の向かい側の道には「日本のボウリング発祥の地」の石碑が建っています。
隣には、ステンドグラスでボウリングのモチーフが描かれている、かわいらしい説明板が建っています。
「近代活版印刷発祥之地 新町活版所跡」
長崎市立図書館から徒歩3分、長崎消防局の裏手の道に建っているのが「近代活版印刷発祥之地 新町活版所跡」石碑。隣にあるのは、なんと、当時の活字を再現したモニュメント。
近代印刷の始祖と言われる本木昌造は、長崎製鉄所附属の“活版伝習所”を設立し、活字鋳造及び組版の講習を受け、明治3年に鋳造活字に成功した人物です。そして、ここに、日本ではじめての印刷企業となる「新町活版所」を興しました。
隣には「詩儒吉村迂斉遺跡」も並んでいます。
長崎公園には、この本木昌造の銅像も立てられています
日本で最初の罐詰製造の地跡
長崎歴史博物館の裏手、長崎公園の入り口に立っているのが「日本で最初の罐詰製造の地跡」石碑。
明治12年長崎公園において開催された長崎博覧会の終了後、県がその本館後に缶詰試験場を設置しました。
その勧業御用係に任命された松田雅典は、明治15(1884)年には、缶詰試験所の払下げを受け、松田缶詰所を開業しました。
ちなみに、最初に作られた缶詰はイワシの油漬けなのだそう。
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