ながさきプレスWEBマガジン

  • 長崎歴史ノート 第一回「出島」

    新しい橋を渡って

    時空の旅に出かけよう

    かつては川幅20mで、両脇は橋詰めで狭まり、4.5mの石橋が架けられていました。今では川幅40mですから、橋の長さもデザインも違うのは当然ですね。でもこうやって正面から見ると、かつての出島の橋の佇まいを想像することができます。

     

    と西の文化がぶつかって化学反応を起こしてきた発熱都市・長崎。そのミラクルな歴史にアプローチするならば、本を読むのが一番近道です。長崎に根を張る出版社〈長崎文献社〉編集者が、自社の書籍を紹介しながら長崎の歴史の美味しい味わい方をご提案いたしましょう。
    第一回目のテーマは「出島」。

    長崎人が知らない生きている出島

    「出島が、まさか人工で埋めたてた島だったとは……」
    昨年12月、〈長崎文献社〉主催で行った文化フォーラム(テーマは「出島」)が終わり、会場を後にする参加者の60代とおぼしき男性がもらした一言に、私は思わずのけぞってしまいました。出島が埋め立てられた人工島であること。出資したのは数人の長崎町人であること。明治時代の変流工事で川幅が大きく広がったこと。そういうアレコレは、長崎の基本常識だと思い込んでいたのは浅はかでした。知らない人は知らないってこと。

     

    2017年11月24日、対岸の江戸町側と出島の表門の間に架橋された「出島表門橋」は、まさに新時代につながる出島にふさわしい、スマートなデザイン。この橋を渡りながら、「そうだ、出島は島だったんだ。それも長崎人が造った島なんだ」とあらためて感じ入ります。
    宙に浮いているような感覚は気分だけではなく、支点が江戸町側の片方にしかないから。国指定史跡なので出島側には橋の支点を置くことができず、実際に片側が宙に浮いているわけで、ふわりと時空を超えるような独特の浮遊感があります。

     

    ところで、昨年の文化フォーラムにもご登壇いただいた山口美由紀さんは出島復元整備室の学芸員で、NHK『ブラタモリ』長崎編でもタモリさんをご案内したお方。長崎文献社から『旅する出島』を出しています。出島の魅力をここまでビジュアル&オシャレに、しかも専門的にまとめた本はいまだかつてありませんでした。
    そんな彼女のお話によれば、架橋にあたって江戸町側の遺構を掘ったところ、かつての出島の石橋の輪石などの部材がごろごろ出てきたのだそうです。しかも、その一部は護岸の階段に再利用されていたことが判明し、モノは出島の一画に展示しています(一連のフォーラムの内容はブックレットにまとめて発刊予定)。

    つまり、今も新しい事実が続々と発掘されている〝生きている〟遺跡、それが出島なのです。一度行けばもういい的な観光地ではありません。ときどき覗いて変化を楽しまなくちゃ、もったいない。

    読んでからその場に立つすると人々の気配がする

    出島に行くなら昭和19年の小説『長崎出島』でウォーミングアップするのもオススメです。このたび〈長崎文献社〉で復刻版を出版しました。平山蘆江という(今で言う浅田次郎のような)人気小説家の手によるもので、歴代オランダ商館長の中でも最も長く出島におり、最もたくさん仕事をし、最も大変な目にあったヘンドリック・ドゥーフが主人公。彼の青い目で見た長崎人の暮らしぶりと交流を描いた人情悲喜劇を読んでから、復元された出島のカピタン部屋に足を踏み入れる。
    すると、そこにうごめいていたであろう人々の想いや思惑の気配が濃厚に感じ取れます。

     

    1808(文化5)年に実際に起こった、オランダ船に偽装して長崎港で暴れまわったイギリス船「フェートン号」の騒動を縦軸にしており、教科書の史実が、動画のように迫ってきます。
    ちなみに同じフェートン号事件を、あのドラマの名手・市川森一も『夢暦長崎奉行』で扱っています。

     

    そのほか出島で起きた騒動や事件は数知れず、今も昔も人々の想像力をかきたてる宝島。ネタ枯れのクリエーターは、一度出島表門橋を渡って時空の旅に出かけてみるのも、手かもしれません。

    「鎖国時代に西欧に開かれた窓」だけじゃない

    劇的なドラマはあちらこちらに怒涛のごとく

    文・川良 真理

    〈長崎文献社〉副編集長。
    中通りの〈長崎文献社〉アンテナショップ書店「ブック船長」にも時々出没します。

    もっと知りたい
    「出島」のコト

    『出島』のことをもっと知りたいアナタへ!長崎文献社の『出島』に関する書籍を紹介します。

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