ながさきプレスWEBマガジン

長崎歴史ノート 第七回「原爆と平和」

核兵器禁止条約の次の波は

市民が関心を持ち、考えること

『長崎游学1 原爆被災地跡に平和を学ぶ』(長崎文献社)より。平和祈念式典はこの平和祈念像の前で行われますが、直前に祈念像を水洗いするのも夏の風物詩ですね。かつて、この祈念像に赤いマフラーが巻かれるという事件(?)がありました。ひまな人がいるものです。

 

長崎人のカレンダーは
8月9日が「ひと山」

崎人には頭の中に「長崎カレンダー」があります。

 

6月はくんちの小屋入りに始まり、還暦のお祝いの宴で夜のスケジュールは立て込み気味。そして7月も半ば過ぎると、長崎原爆の日の8月9日まで原爆関連のイベントでざわつき、メディアも原爆特集最優先となって、ほかのネタは分が悪くなります。

 

夏の相談事も原爆以外のイベントも休暇も何もかも「9日が過ぎてから」が合言葉。だから長崎人にとって、8月の月の3分の1は、あってないようなもの。

 

暑いうえにものすごく忙しい状態で過ぎていく異常な期間といえます。

 

ことほどさように、8月9日は長崎にとって特別な日。そしてそれは、県外から長崎に来た観光客や移住者にとっては、ちょっとわかりにくい。

 

11時2分のサイレンが鳴りひびくと、人々はその場に立ち止まり目を閉じます。走っている車も路肩に停車。動いていた街がストップモーションとなり、みんな黙祷をしながら、1945年のきのこ雲の下、浦上の惨状に思いをはせます。

 

息の詰まるような1分間が過ぎ、ほぅ、と小さな溜息。まぶたを開けると容赦なくふりそそぐ日差しが目にしみます。

 

1年365日の区切り、原爆が投下されて、今年で73年目の夏がやってきました。

被爆直後のカラーの長崎は
現在と地つづきという真実

数年前、米国ワシントンにある国立公文書館所蔵の未公開写真が公開されたときのこと。原爆投下直後の長崎の様子がカラーフィルムで撮影された写真も大量に発見されたため、原爆資料館のホールでは大画面で見ることができました。爆風で崩れ落ちた浦上天主堂。地平線まで瓦礫が続く浦上の荒野。焼け落ちて鉄骨だけになった長崎駅舎。たまたま、それを見た県外からの修学旅行生の何人かが、ショックで具合が悪くなったそうです。

 

 それは、その写真がカラーだったことが一因でした。私たちのイメージの中では、モノクロ写真は過去のもの、カラー写真は現在のものという色分けがなされています。これまで目にしていた原爆後の長崎のほとんどはモノクロ写真。意識の中でそれは「過去のもの=昔の話」と決め付けていたのかもしれません。だからこそ、被爆直後のカラー写真を前にしたとき、原爆投下が今まさに自分が立っている現在と、まぎれもなくつながっている事実であることをドスンとつきつけられます。

 

 平和公園や原爆中心地。緑が萌え、美しく整備されればされるほど、被爆の実相はわかりにくく、逆に被爆遺構の存在感は増しています。

 

 昨年国連では「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成によって採択されました。しかし、被爆国の日本はまだ重い腰をあげません(なんじゃそりゃ!)。世界中が核兵器について厳しく見つめている時代に、これまでより一歩踏み出すために。「忘れない」だけでなく、「さらに知る、学ぶ」ために。副読本としてのガイドブックや写真集、マンガ、本をめくりながら今一度考えてみてはいかがでしょう。

文・川良 真理

〈長崎文献社〉副編集長。
中通りの〈長崎文献社〉アンテナショップ書店「ブック船長」にも時々出没します。

もっと知りたい
「原爆と平和」のコト

『原爆』のことをもっと知りたいアナタへ!長崎文献社の『原爆』に関する書籍を紹介します。

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